競輪選手の引退コメント
この記事では、引退した競輪選手が引退に際して残したコメントを、一部抜粋して紹介する。
村上義弘(京都)
KEIRINグランプリ2度、日本選手権4度の制覇を誇る「魂のレーサー」。徹底先行で一時代を築き、自在に転向してからも近畿地区の総大将として競輪界を引っ張り続けた。2022年引退。
(引退会見での村上選手にとって競輪とは?という問いに)
「僕の人生そのもので…。それしか知らないので。競輪以外のことを考えたことがなかった。…競輪があったおかげで人生を救われて。これからも(競輪に)感謝し続けていきたいなと思います」
鈴木誠(千葉)
輪界最高の自在型選手として1991年のKEIRINグランプリを制覇。その後、2005年には当時39歳で地元・松戸の日本選手権を優勝した。2018年引退。
(松戸競輪場での引退会見で)
「私は競輪が大好きで、常日頃から『クビになるまで現役を続ける…』と申しておりましたが、半年くらい前から怪我による痛みで…このままの状態では大好きな競輪、自転車が大嫌いになってしまうと思い…」
後閑信一(東京)
G1・3勝。2013年には43歳で、地元・京王閣のオールスターを捲って優勝した。その風貌と自力を貫く競走から、「ボス」の愛称がよく知られている。2018年引退。
(京王閣競輪場での引退セレモニーで)
「本当に、我が競輪人生に悔いはありませんでした」
市田佳寿浩(福井)
2010年の寛仁親王牌を優勝。幾多の落車・怪我より立ち直る姿から、いつしか「不死鳥」と呼ばれるようになった。2018年引退。
(福井競輪場での引退報告会で)
「自分はやっぱり選手として、『不死鳥・市田、フェニックス・市田』と支えていただいた、生き甲斐を頂いたので、諦めたくない一心でここまできた…」
三宅伸(岡山)
競輪学校64期在校1位として、長くG1戦線で活躍。2008年の全日本選抜では、同郷の後輩・石丸寛之の番手からG1初優勝を飾った。2022年引退。
(玉野競輪場での引退セレモニーで)
「40歳くらいで引退していたらもう一度競輪選手になりたかったんですけど、今はもうちょっと考えますね…体がしんどい」
萩原操(三重)
1980年代から長くS級で活躍し、数々の競輪最高齢記録を打ち立てたレジェンド。選手指導にも定評があり、数多くの弟子を育てたことでも知られる。2022年引退。
(松阪競輪場での引退セレモニーで)
「ここまでやってこれたのも、本当に弟子のおかげだと思ってます。だから弟子を育てたというよりか、自分が育てられたような気がします」
高木真備(東京)
2021年のガールズグランプリなどを優勝した、ガールズケイリンを代表する選手。実力とルックスでアイドル的な人気を博した。2022年引退。
(CS中継内の引退報告で)
「自分の中でグランプリがラストランみたいな感じで。一番良い結果を残せたレースだったので、あそこが私のゴールだったのかなと…」
一丸安貴(愛知)
1990年代~2000年代に長くG1戦線で活躍。現役晩年には日本競輪選手会愛知支部長として、競輪場のPRにも尽力した。2023年引退。
「選手としてはもちろんですが、支部長としての思い出もいっぱい頂きまして…本当に良い競輪人生でした」
砂川秀樹(神奈川)
通算361勝、優勝21回。S級での実績は無かったが、ラストランまで自力を発揮し続けたスタイルがファンに人気を博した。2021年引退。
(ラストラン直後に)
「多分、同期(59期)で最後に逃げ切ったのって私だと思うんですよ。大きい成績は残してないですけど、それだけは自慢させていただきたいです」
全てを出し切った後、心の底から絞り出されたコメントの数々。読者の皆さんには、思い出に残っているコメントはあるだろうか。
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