競輪情報あれこれ

【競輪】グランプリ優勝者と現役引退―王者の引き際を振り返る

中野浩一(福岡)

第1回KEIRINグランプリを制し、世界選手権スプリントでも10連覇を達成…と、今さらその実績を語ることすら野暮に思えるご存知”ミスター競輪”・中野浩一。グランプリ制覇後もG1タイトルを積み上げ続けたが、1991年の久留米全日本選抜で決勝に勝ち進めなかったことを機に引退を決意。翌1992年の高松宮杯(現在の高松宮記念杯)決勝がラストランとなった。

後方8番手から渾身の捲りを放った中野だったが、先に番手から抜け出した滝澤正光をわずかに捕らえ切れず2着に惜敗。中野は、当時5つあったG1タイトル(当時は特別競輪)の内、唯一この高松宮記念杯だけは優勝することが出来なかった。1992年6月26日、登録消除。引退時の級班はS級1班であった。

井上茂徳(佐賀)

史上最多タイのグランプリ3回制覇を成し遂げた”鬼脚”・井上茂徳。1994年にグランプリ3度目の優勝を果たしたが、その後は特別競輪での度重なる失格もあり成績が下降。更に、1998年1月に立川で落車して右鎖骨を骨折した影響で最上位のS級1班からの陥落が決まり、引退を決意。1999年の静岡日本選手権を最後にバンクを去った。1999年3月31日、登録消除。引退時の級班はS級1班であった。

滝澤正光(千葉)

圧倒的な先行力で80年代の競輪界を支配した”怪物”・滝澤正光。中野浩一を倒すべく結束した「フラワーライン」の急先鋒として逃げまくり、獲得した特別競輪のタイトルは14にも及んだ。そんな滝澤も1997年の競輪祭を最後にG1決勝から遠ざかり、2008年後期からはA級陥落が決定。「A級に下がってまで走り続けるつもりはない」とした滝澤は、2008年6月24日の富山2Rを最後に現役引退を表明。ラストランは往年を彷彿とさせる単騎での先行勝負だった。2008年6月30日、登録消除。引退時の級班はS級2班であった。

坂本勉(青森)

1984年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した”ロスの超特急”こと坂本勉。こちらも圧倒的な先行力でグランプリを含む3度の特別競輪制覇を飾り、デビューした1986年には35連勝を記録。これは今なお破られていない大記録である。

晩年は持病の腰痛に悩まされ、2011年後期よりA級陥落が決定。それを受け、同年6月に現役引退を発表した。ラストランとなった2011年6月22日いわき平7Rでは、北日本ライン3番手から直線鋭く追い込み見事勝利。有終の美を飾った。2011年6月28日、登録消除。引退時の級班はS級2班であった。

鈴木誠(千葉)

全盛期は全ての戦法を完ぺきにこなし、最強の自在型選手と言われた千葉の重鎮・鈴木誠。1991年のグランプリを痛烈な捲りで制し、競輪界の頂点に君臨。その後も息の長い活躍を続け、2005年には39歳11カ月で日本選手権制覇を飾った。現役最晩年の2016年までG1出場を続けたが、落車の影響もあり2018年7月に引退を表明、同年7月12日に登録消除。引退時の級班はS級2班であった。

吉岡稔真(福岡)

競輪王国・九州において中野浩一の後継者と謳われ、常勝の礎を築いた”F1先行”・吉岡稔真。驚異的な地脚を武器に1990年代の競輪界を席巻し、13の特別競輪タイトルを手中に収めた。特に、”東の横綱”・神山雄一郎との対決は数多くの名勝負を生み、90年代の競輪黄金期を支えた。

そんな吉岡も、1999年以降は度重なる落車に悩まされG1優勝から遠ざかる。完全な低迷期から復活のG1優勝を飾ったのは、2006年の立川日本選手権。全盛期を彷彿とさせる逃げ切りだった。そして、同年のKEIRINグランプリで9着に終わったのを最後に現役引退を表明。グランプリでは、井上昌己・合志正臣という若手2人を後ろに置いての自力勝負を見せた。2007年1月12日、登録消除。引退時の級班はS級1班であった。

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競輪歴15年(みんなの競輪チーム 所属)

輪pedia 編集者兼ライターの「競輪歴15年」です。 長年培った知識を活かし、競輪に関する有益な情報を提供していきます。
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