KEIRINグランプリ出場選手紹介
KEIRINグランプリ2020に出場する9選手を一挙紹介。第6回は、昨年KEIRINグランプリ2019を43歳で制し、2003年山田裕仁以来のグランプリ連覇に挑む福島78期・佐藤慎太郎を特集する。
デビューからの経歴
前史~S級の舞台に上がるまで
デビューは1996年8月14日のいわき平競輪場。デビュー初勝利を飾ると、その勢いでいきなり初優勝。その後は少しづつ力を付け、1998年9月の千葉競輪場でA級初優勝。1999年4月からS級に昇級し、同年7月には補充参加ながら前橋寛仁親王牌でG1の舞台を経験した。続く10月の地元戦で逃げ切り、S級初優勝を飾る。
この頃までは先行も交えながらレースをしていたが、翌年以降は先行回数を減らし、場合によっては人の後ろを回る競走も経験しながら、一流のマーク選手を目指してキャリアを重ねていくことになる。
若きマーク屋・佐藤慎太郎開眼
デビュー5年目を迎え、3月の伊東温泉でG3初優勝を飾った2001年までには、ほとんど自力で戦うことはなくなり、20代半ばにして北日本有数のマーク選手としてG1でも活躍を示すようになった。翌2002年は、3月の立川日本選手権では、準決勝で小嶋敬二、山口幸二、神山雄一郎と言ったビッグネームを撃破しG1初の決勝進出を果たす(7着)。この年はG1・2回、G2・2回の決勝進出を記録し、佐藤にとって飛躍の1年となった。
そして翌2003年、11月の高知全日本選抜でG1初優勝。ゴール前は後のグランプリ覇者である小野俊之(大分・77期)との大接戦となったが、タイヤ差振り切って27歳での初タイトルを手中に収めた。
これを機に、北日本の司令塔としての地位を不動のものとした佐藤は、2004年~2006年にかけてG1決勝に合計14回出走。特に2004年は、全てのG1で決勝に勝ち進む抜群の安定感を披露した。G2もこの間に2回制覇しており、4年連続でのグランプリ出場も果たしている(順に5着、7着、落車棄権、3着)。
雌伏の日々~超一流と一流の狭間
翌2007年はG1・G2での落車・失格が相次ぎ、グランプリ出場を逃す。さらに2008年は、5月奈良全プロの落車で5カ月の戦線離脱を余儀無くされるなど、厳しいシーズンとなった。
この後、佐藤は2018年までの約10年間、「時折G1決勝に顔を出すが、優勝はG3・F1までのマーク選手」として長く雌伏の日々を経験することになる。この間も欠かさずG1には出場している他、3度のG1準優勝を経験するなど、一流選手としての地位は揺るがないものとなっていた。しかし2003年~2006年程の勢いは無く、再びグランプリに挑むレベルまでは達しない程度の成績を残し続けた。
2019年、43歳の再ブレイク
しかし、迎えた2019年。ここからが”競輪伝道師”・佐藤慎太郎の真骨頂となった。
年始の別府全日本選抜決勝で中川誠一郎の2着に入ると、続く大垣ウィナーズカップ(7着)、別府サマーナイトフェスティバル(4着)とG2で2度の決勝進出。夏以降も好調を持続して名古屋オールスター、松阪共同通信社杯と連続で準優勝となり、獲得賞金上位で実に13年ぶりのグランプリ出場を果たした。
この年のグランプリは脇本雄太・新田祐大の両ナショナルチームに、清水裕友―松浦悠士の中国勢が人気を集めており、43歳の佐藤は戦前から苦戦を強いられるだろうと見られていた。しかし蓋を開けてみると、壮絶な先行争いを繰り広げた脇本・新田の真後ろ、3番手という絶好のポジションをキープし、直線中を割って見事優勝。2005年の武雄ふるさとダービー以来のビッグレース制覇をグランプリはの舞台で飾ると共に、43歳1か月でのグランプリ制覇は2011年・山口幸二の43歳5カ月に次ぐ、史上2番目の高齢優勝記録であった(もちろん、最高齢でのグランプリ初優勝記録)。
続く2020年も、年始から安定感抜群の成績を披露。優勝こそ11月四日市記念の1回に留まったものの、G1・2度の決勝進出、連対率50%オーバーと大崩れなく走り抜き、2年連続でのグランプリ出場を掴んだ。
グランプリ連覇を達成すれば、もちろん最高齢優勝記録を更新することになる佐藤。今年も競輪界の頂に昇り、豪快な高笑いを見せてくれるか。
競輪歴15年(みんなの競輪チーム 所属)
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