KEIRINグランプリの歴史を紐解く
いよいよ間近に迫ったKEIRINグランプリ2020。すっかり年末の風物詩となった競輪界の頂上決戦・1億円争奪戦だが、今回はそんなKEIRINグランプリの歴史を振り返ると共に、過去5年のグランプリの結果をプレイバックする。
KEIRINグランプリの歴史
KEIRINグランプリ誕生の経緯
1981年以降、競輪の売り上げは減少を続け、その対策として1985年に全日本選抜競輪を創設したものの、売り上げ減に歯止めはかからなかった。そこで、関係者が「中央競馬の有馬記念に匹敵するグランプリレースを競輪でも行えないものか?」と発案したのが当レースであった。
同年中の急な決定だったため開催調整は難航したものの、多くの観客を動員できる立川競輪場に白羽の矢が立ち、懸命の調整が続いた。その結果、同年の特別競輪優勝者5人、世界自転車選手権優勝者1人、競走得点上位者3人の計9人により12月30日、一発勝負による「KEIRINグランプリ」を開催することで骨子が固まった。
しかし、あまりにも急な決定だったため関係各所の反応は芳しくなく、その盛り上がりが大いに心配された。だがそうした懸念は杞憂に終わり、立川競輪場は39019人のファンで埋め尽くされ、売り上げも1レースだけで10億円を超えるという、記録的な大盛況を見せた。この後、立川競輪場は20回に渡りKEIRINグランプリを開催し、「競輪の聖地」として競輪ファンに親しまれることとなる。
KEIRINグランプリの影響は非常に大きく、競輪界ではこの売り上げが功を奏して1985年の競輪の売り上げは5年ぶりに前年対比増に転じ、以後1991年まで対前年比増を続けることになる。また、他の公営競技にも影響を与え、競艇では1986年から賞金王決定戦、オートレースでは1987年からスーパースター王座決定戦という、それぞれの競技の年間チャンピオン決定戦を誕生させている。
競輪史に残る大事件~KEIRINグランプリ89中止
しかし、グランプリ効果で売り上げが急上昇する一方で、選手に対する賞金の伸び率は鈍く、選手間では不満が高まっていた。そこで、当時の日本競輪選手会理事長であった片折行(埼玉・期前)は大幅な賞金の増額を主催者に要求し、それが通らなければKEIRINグランプリ89に対して選手を斡旋しない―すなわち、ストライキを起こすと発表した。
主催者側は、賞金の増額幅が大きすぎるとしてこの要求を却下。その後も交渉の決裂が続き、第1回同様立川競輪場で行われる予定だったKEIRINグランプリ89は中止という最悪の結果となってしまった。
その後のKEIRINグランプリ
それでも、翌年1月中に労使交渉は和解。1990年以降のグランプリは中止されることなく行われていく。鈴木誠(千葉・55期)が優勝したKEIRINグランプリ91は最高記録となる42,528人を動員。この記録は現在に至るまで破られていない。また、小橋正義(岡山・59期)が優勝したKEIRINグランプリ96は、最高記録となる106億4770万円を売り上げた。
この後、グランプリの売り上げは緩やかに下降線をたどっていくが、2002年、2003年には「中部の帝王」山田裕仁(岐阜・61期)が唯一となる連覇を達成。2004年からは優勝賞金が1億円に増額され、年末の「1億円争奪戦」として定着することとなった。
また、KEIRINグランプリ2007以降は、GP出場9選手はS級S班としてレース本番に臨むこととなった。更に2012年以降はS級S班所属選手が18名から9名となり、正真正銘、その年の競輪界の最強を決める一戦として定着している。
なお、その人員や賞金規模からグランプリを開催できる競輪場はごく限られており、第1回以降立川・平塚・京王閣の3場でのみ開催されてきたが、2014年には西日本初となる岸和田競輪場で開催。2018年には静岡競輪場で初めて開催されるなど、開催場も徐々に広がりを見せている。
過去5年のグランプリをプレイバック!
ここからは、幾多の名勝負が紡がれてきたKEIRINグランプリから、過去5年の開催をプレイバックする。
2015年
単騎戦となった浅井康太が最終バックから俊敏な立ち回りを見せ、直線で迫った新田祐大を振り切りグランプリ初制覇を飾った。
着 | 車番 | 選手名 | 登録地 |
1 | ⑥ | 浅井康太 | 三重 |
2 | ② | 新田祐大 | 福島 |
3 | ⑧ | 平原康多 | 埼玉 |
2016年
稲垣裕之の先行に応え、最終バックで村上義弘が渾身の番手捲り。ゴール前は武田豊樹が強襲し接戦となったが、1/4車輪振り切り2度目のグランプリ制覇を飾った。
着 | 車番 | 選手名 | 登録地 |
1 | ③ | 村上義弘 | 京都 |
2 | ⑥ | 武田豊樹 | 茨城 |
3 | ⑧ | 浅井康太 | 三重 |
2017年
最終4コーナーで3名が落車する大波乱の展開も、深谷知広の打鐘先行を活かした浅井康太が直線抜け出して優勝。グランプリ2度目の制覇を飾った。
着 | 車番 | 選手名 | 登録地 |
1 | ⑨ | 浅井康太 | 三重 |
2 | ⑧ | 武田豊樹 | 茨城 |
3 | ① | 新田祐大 | 福島 |
2018年
静岡競輪場で行われた初のグランプリ。脇本雄太の先行から抜け出した三谷竜生が優勝し、年間獲得賞金額を255,313,000円として過去最高記録を更新した。
着 | 車番 | 選手名 | 登録地 |
1 | ① | 三谷竜生 | 奈良 |
2 | ② | 浅井康太 | 三重 |
3 | ④ | 新田祐大 | 福島 |
2019年
脇本雄太と新田祐大の極限のスピードバトルが展開されたが、直線で抜け出したのは43歳1か月・13年ぶりのグランプリ出場となった佐藤慎太郎だった。
着 | 車番 | 選手名 | 登録地 |
1 | ④ | 佐藤慎太郎 | 福島 |
2 | ③ | 脇本雄太 | 福井 |
3 | ⑧ | 平原康多 | 埼玉 |
まとめ
今回は、KEIRINグランプリの歴史と過去5年のグランプリをプレイバックした。今年は昨年も出場した選手が7人参戦するが、果たしてどのような結末が訪れるのか。グランプリ当日まであと日。今から待ち遠しい限りである。
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競輪歴15年(みんなの競輪チーム 所属)
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