兵庫県西宮市にかつて存在した西宮競輪場(にしのみやけいりんじょう)。プロ野球球団の本拠地である「野球場」の中に、競輪用のバンクを組み立てて開催するという、世界でも極めて類を見ない特殊な運用を行っていた伝説の競輪場です。

1949年の開設から50年以上にわたり、関西の競輪ファンを熱狂させてきましたが、売上の減少と経営方針を巡るトラブルにより、2002年(平成14年)3月をもって惜しまれつつ廃止されました。

本記事では、自治体の記録や裁判所の判例といった一次資料の事実関係を基に、西宮競輪場の基本情報から、前代未聞の「組み立て式バンク」の構造、廃止の裏にあった法廷闘争、そして関西屈指の巨大商業施設へと生まれ変わった跡地の現在までを詳しく解説します。


1. 西宮競輪場の基本情報

まずは、西宮競輪場の概要と設備に関する基本データを紹介します。

■ 基本スペック一覧

項目内容
所在地兵庫県西宮市高松町14(阪急西宮スタジアム内 ※現存せず)
開設日1949年(昭和24年)3月25日
廃止日2002年(平成14年)3月31日(本場最終開催は3月8日)
走路(バンク)300m木製板張り → 333m鉄製組み立て式
施行者兵庫県市町競輪事務組合(西宮市など兵庫県内の17市町で構成)
土地・施設所有阪急電鉄株式会社(当時は阪急系のコマ・スタジアム等が管理)
主な開催レースオールスター競輪(GI・1978年、1984年)、阪急ダイヤモンド賞(GⅢ)など

西宮競輪場は、単独の競輪競技場ではなく、プロ野球・阪急ブレーブス(後のオリックス・ブルーウェーブ)の本拠地であった「阪急西宮スタジアム(西宮球場)」を借用して開催されていました。


2. 世界的にも異例の「組み立て式バンク」と野球場との共存

西宮競輪場の最大の特徴は、野球場の中に競輪開催時のみ出現する「組み立て式バンク」にありました。

■ 「ルーレットバンク」と呼ばれた木製時代

開設当初は、1周300mの木製板張りバンクが使用されていました。競輪場専用のすり鉢状の傾斜(カント)を木製の骨組みと板で再現したもので、小回りで目まぐるしく展開が変わることから、ファンからは「ルーレットバンク」の愛称で親しまれました。

■ 118枚の鉄板で組み上げる333mバンク

その後、より安全で近代的なスピードレースに対応するため、1周333mの鉄製組み立て式バンクへと大規模な改修が行われました。

このバンクの構造は非常に精巧で、計118枚の巨大な鉄板(1枚の長さは約2.82メートル)をボルトで繋ぎ合わせ、ウオークトップ(特殊塗装)を塗布して走路を形成していました。

プロ野球のシーズンが始まると、野球の試合に影響が出ないよう、競輪の開催スケジュールに合わせてこの膨大な鉄板と骨組みを解体・搬出し、競輪開催時には再びクレーン等を使って球場内にミリ単位で組み上げるという、気の遠くなるような設営作業が毎回行われていました。


3. 廃止に至った背景:累積赤字と一次資料が語る「施設を巡る対立」

昭和の黄金期には莫大な収益を上げ、構成自治体の戦後復興を支えた西宮競輪ですが、平成に入ると深刻な経営危機を迎えます。

■ 景気低迷による売上の急減

バブル崩壊以降、レジャーの多様化や競輪人気の低迷により車券売上は右肩下がりに減少。2000年代初頭には単年度赤字が恒常化し、これ以上の事業継続は自治体の財政を圧迫するリスクが高まりました。2001年11月、施行者である兵庫県市町競輪事務組合は、近隣の「甲子園競輪場」と同時に、2001年度(2002年3月)限りでの開催廃止を最終決定しました。

■ 一次資料(裁判所判例)から見える「再開発」と「経営摩擦」の舞台裏

西宮競輪の廃止を巡っては、単なる売上減少だけでなく、土地・施設を所有する阪急電鉄側と、施行者である自治体組合側との間での深い溝がありました。これは後に、両者の間で損害賠償を巡る法廷闘争へと発展しています。

裁判所の判例資料(損害賠償請求事件の記録)によると、以下のような生々しい対立の歴史が記録されています。

  • 施設改善(特別観覧席)の要求拒否: 組合側は売上減少の大きな原因を「西宮競輪場の施設(特に顧客単価を上げるための特別観覧席)が近代化されていないこと」とし、1992年(平成4年)頃から阪急側へ繰り返し強い改善要求を行っていました。
  • 阪急側の再開発計画: これに対し阪急側は、すでに1989年(平成元年)以降から西宮スタジアム周辺の一体的な「再開発計画」を水面下で進めており、莫大な投資が必要となる競輪用の施設改善には応じませんでした。

つまり、自治体側は「客を呼ぶために設備投資をしてほしい」と考えたのに対し、民間企業である阪急側は「スタジアムを取り壊して新しい商業地へ再開発したい」という未来図を描いており、この構造的な不一致が結果として競輪事業の延命を不可能にし、2002年の同時廃止へと直結したのです。


4. 2002年3月8日:53年の歴史に幕を下ろしたラストレース

2002年(平成14年)3月8日、西宮競輪場はついに最後の本場開催日を迎えました。最後の記念開催を制したのは、のちのグランプリ覇者となる村上義弘選手でした。

当日は、ユニークな球場型競輪場との別れを惜しむ多くのオールドファンが詰めかけました。全レースが終了したのち、最後のバンク解体作業が始まり、118枚の鉄板が1枚ずつ剥がされていく光景は、一つの時代の終わりを象徴する寂しげなものでした。

この西宮競輪と甲子園競輪の同時廃止により、兵庫県内から競輪の本場開催が完全に消滅することとなりました。


5. 跡地の現在:関西屈指の巨大商業施設「阪急西宮ガーデンズ」へ

競輪の廃止後、阪急電鉄の計画通り、阪急西宮スタジアムは2004年から2005年にかけて完全に解体されました。そして2008年((平成20年)11月、その広大な跡地にグランドオープンしたのが、現在関西屈指の規模を誇る超大型ショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」です。

廃止から24年が経過した現在(2026年時点)でも、現地にはかつてのスタジアム(および競輪場)の記憶を伝えるメモリアルが大切に残されています。

  • 阪急西宮ギャラリー(本館5階): 阪急ブレーブスの黄金期の展示とともに、1983年当時の西宮スタジアムとその周辺を精密に再現した巨大なジオラマ模型が展示されています。球場内に競輪の走路がどのように収まっていたかを視覚的に体感することができます。
  • ホームベースのメモリアルポイント(本館4階): 「木の葉のステージ」の一角の床面には、かつてスタジアムのホームベースがあった正確な位置に記念のプレートが埋め込まれています。

まとめ:画期的な「多目的スタジアム」の先駆者として

西宮競輪場は、今日のドーム球場や複合スタジアムのように「一つの巨大ハコモノを野球と公営競技でシェアする」という、時代を先取りした画期的なアイデアの先駆者でした。

商業再開発によって当時の面影はなくなりましたが、西宮の街を発展させた貴重な歴史の1ページとして、今も「阪急西宮ガーデンズ」の賑わいの中にそのレガシーが息づいています。