滋賀県大津市にかかつて存在した大津びわこ競輪場(おおつびわこけいりんじょう)。日本最大の湖・琵琶湖のすぐ近く(近江神宮外苑公園内)に位置し、競輪界の最高峰レースの一つ「高松宮記念杯競輪」の固定開催地として全国のファンにその名を知られた名門競輪場です。

1950年の開設から60年以上にわたり熱戦が繰り広げられてきましたが、車券売上の減少による赤字化に伴い、2011年(平成23年)3月をもって廃止となりました。さらにその最期は、東日本大震災の発生によって最終レースが途中で中止になるという、あまりにも突然でドラマチックな幕引きでした。

本記事では、大津市の公表資料やニュースリリース(一次資料)の事実関係を基に、大津びわこ競輪場の基本情報から、輝かしい歴史、廃止の理由、そして現在は地域に愛される革新的な商業施設へと生まれ変わった跡地の現在までを詳しく解説します。


1. 大津びわこ競輪場の基本情報

まずは、大津びわこ競輪場の概要と設備に関する基本データを紹介します。

■ 基本スペック一覧

項目内容
所在地滋賀県大津市二本松1-1(※現存せず)
開設日1950年(昭和25年)5月20日
廃止日2011年(平成23年)3月31日(事実上の閉場は3月11日)
走路(バンク)500m(周長500m、みなし直線63.3m、最大カント26°16′40″)
施行者大津市(単独施行)
土地・施設所有大津市(滋賀県所有の土地を市有地と交換し、大津市が取得)
主な開催レース高松宮記念杯競輪(GI・1950年〜2010年まで毎年固定開催)など

最大の特徴は、全国でも数の少ない「500mバンク」を採用していた点です。バックストレッチ側で風が吹きやすく、特観席などの建物の影響で風が回るため、「びわこ特有の風をいかに読むか」がレースの勝敗を大きく左右する独自の心理戦・スピード戦を生み出していました。


2. 「高松宮記念杯競輪」の聖地としての歩み

大津びわこ競輪場の歴史は、競輪界におけるもっとも格式高い特別競輪の一つ「高松宮記念杯競輪(GI)」の歴史そのものでした。

毎年固定開催という特権

1950年(昭和25年)、近江神宮の記念事業として開設された直後、同年より「高松宮同妃賜杯競輪」が開催されました。これがのちの「高松宮記念杯競輪」へと発展します。

通常のGIレースは全国の競輪場を持ち回りで開催されますが、高松宮記念杯だけは、2010年(平成22年)の第61回大会まで一貫して大津びわこ競輪場で毎年固定開催されていました。

そのため、毎年6月になると全国から熱狂的な競輪ファンが大津の地に集結し、街全体が競輪一色に染まりました。大津びわこ競輪場の総売上のうち、実に7割近くがこの高松宮記念杯によるものだったとも言われており、大津市の財政を潤す最大の原動力となっていました。


3. 廃止に至った背景:売上最低ラインの未達と苦渋の決断

昭和の時代には市の財政に大きく貢献した大津びわこ競輪ですが、平成に入ると徐々に暗雲が立ち込めます。大津市の経営悪化の背景には、以下のような構造的な問題がありました。

2004年度からの慢性的な赤字

バブル崩壊以降の景気低迷やレジャーの多様化、インターネット投票への移行(当時は本場への入場者減少をカバーしきれなかった)により、大津びわこ競輪の売上高は減少の一途をたどりました。

2004年度(平成16年度)頃から収支が不安定になり、数年連続して赤字を計上するようになります。経費削減や開催日数の見直しなど様々な経営改善策を試みたものの、収支が好転することはありませんでした。

「売上最低ライン110億円」の壁とボートレースとの比較

大津市は競輪事業の継続審査にあたり、「年間売上高が最低ライン(約110億円)」を下回った場合は事業を廃止するという明確な基準を設けていました。しかし、2010年度(平成22年度)の段階で、この最低ラインを下回ることが確実視される状況に陥ります。

さらに、近隣には滋賀県が管轄する「ボートレースびわこ(びわこ競艇場)」があり、あちらが黒字経営を維持していたのに対し、大津市の競輪事業は赤字続きで市財政の負担になるリスクが高まっていました。これ以上市民の税金を投入して事業を維持することは困難と判断され、大津市議会での議論を経て、2010年に「2011年3月末をもって事業を廃止する」という苦渋の決断が下されました。


4. 東日本大震災による突然の幕引き

大津びわこ競輪場の歴史の終わりは、日本の災害史とも重なる非常に凄惨で突然のものでした。

本場での最終開催「大津びわこファイナルカップ」は、2011年(平成23年)3月11日〜13日の3日間の日程で予定されていました。長年支えてくれたファンへの感謝を伝えるため、多くのイベントや閉場セレモニーが準備されていました。

しかし、運命の初日である3月11日の午後2時46分、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生します。

大津びわこ競輪場がある滋賀県でも大きな揺れを観測し、場内は騒然となりました。この未曾有の大災害の発生を受け、競輪界全体での開催自粛および電力供給や安全確保の観点から、大津びわこ競輪場は2日目以降の開催および場外発売のすべての中止を決定しました。

結果として、予定されていた「さよならセレモニー」やファンとの別れのイベントは一切行われることなく、3月11日の開催をもって事実上の閉場を迎えました。60年以上の歴史を持つ名門競輪場としては、あまりにも静かで、あまりにも突然すぎる、震災による幕引きとなったのです。


5. 跡地の現在:革新的な複合商業施設「ブランチ大津京」への変貌

競輪場の廃止後、約6.5ヘクタールに及ぶ広大な跡地(近江神宮外苑公園の一部)の利活用について、大津市は長期間にわたり慎重に検討を重ねました。市は土地を売却せず、「定期借地権」を活用して民間の活力を導入する方針を固め、公募型プロポーザルを実施しました。

その結果、大和ハウスグループの大和リース株式会社による開発が決定し、2019年(令和元年)11月29日、複合商業施設「ブランチ大津京(BRANCH大津京)」がグランドオープンを迎えました。

■ 「つどう、つながる、ひろがる」新しい街づくり

ブランチ大津京は、従来の「ただ買い物を模索するだけのショッピングモール」とは一線を画す、公園と商業が一体となった「体験型複合施設」として設計されています。

  • 約15,000㎡の広大な天然芝公園(ブランチパーク):施設の中央には広大な芝生広場が広がり、週末にはマルシェやヨガ、地域のイベントが開催され、子どもたちが安心して走り回れる空間になっています。
  • 充実したコミュニティ・スポーツエリア:アウトドアショップやスポーツ関連施設、交流スペースが充実しており、地域住民の健康増進の拠点として機能しています。
  • デザイン・産業界からの高い評価:この先進的な取り組みと優れた空間デザインが評価され、2020年度にはディスプレイ産業賞「大賞」(経済産業大臣賞)を受賞しました。

かつて、500mバンクの上を鉄のフレームが走り抜け、観客の怒号と歓声が響き渡っていたコンクリートのスタンド跡は跡形もなく消え去り、現在は緑豊かな木々と芝生に囲まれ、市民の笑顔と笑い声が絶えない、大津市屈指のおしゃれなコミュニティ空間へと見事な転換を遂げています。


まとめ:形を変えて生き続ける「びわこ」のレガシー

大津びわこ競輪場は、戦後復興から日本の高度経済成長期にわたり、大津市という都市のインフラや教育を支える貴重な財源を提供し続けた功労者です。

震災によって最後の開催を奪われるという悲運に見舞われましたが、その跡地は現在、日本有数の優れた再開発モデルとして全国から注目される商業施設へと生まれ変わりました。「高松宮記念杯の聖地」としての競輪の歓声は消えましたが、その広大な敷地がもたらす開放感と地域を惹きつけるエネルギーは、今も「ブランチ大津京」の中に脈々と受け継がれています。