【打鐘の記憶】「銭形くん」の故郷、香川県・観音寺競輪場の基本情報・廃止の真相から跡地の現在まで
香川県観音寺市にかつて存在した観音寺競輪場(かんおんじけいりんじょう)。名勝・琴弾(ことひき)公園や「寛永通宝」の巨大な砂絵で知られる観光都市・観音寺市に位置し、長年「四国の競輪の要衝」として多くのファンに親しまれてきました。しかし、地方自治体が抱える公営競技事業の厳しい財政現実により、2012年(平成24年)3月をもって61年の歴史に幕を閉じました。
本記事では、経済産業省や自治体の公表資料(一次資料)を基に、観音寺競輪場の基本情報から、四国のレジェンドが築いた黄金期、廃止を決定づけた「交付金制度」の壁、そして現在の跡地利用の状況までを詳しく解説します。
1. 観音寺競輪場の基本情報
まずは、観音寺競輪場の概要と設備に関する基本データを紹介します。
■ 基本スペック一覧
| 項目 | 内容 |
| 所在地 | 香川県観音寺市琴浪町2丁目1-3(※現存せず) |
| 開設日 | 1950年(昭和25年)11月16日 |
| 廃止日 | 2012年(平成24年)3月31日(本場最終開催は3月7日) |
| 走路(バンク) | 400m(全国に最も多い標準的な周長) |
| 施行者 | 観音寺市(単独施行) |
| 施設・土地所有 | 観音寺市(市有地・市有施設) |
| マスコットキャラクター | 銭形くん(※競輪場廃止後、観音寺市の公式マスコットへ「昇進」) |
| 主な開催レース | ふるさとダービー(GII・1997年、1998年、2007年)、西王座戦(GII・2004年)など |
瀬戸内海にほど近い沿岸部に位置していたため、特に「3コーナー側から吹き込む海風」が強く、選手にとっては風の計算が極めて難しいバンクとして知られていました。
2. 四国のレジェンド「吉田実」と駆け抜けた黄金期
観音寺競輪場は、日本の競輪界に不滅の足跡を残した伝説のレーサー、吉田実(よしだ みのる)選手のホームバンクでした。
■ 通算1232勝の偉業
吉田実選手は、世界の中野浩一氏の師匠である高倉登氏らと同時代に活躍し、通算1232勝(※当時の国内最多記録)という前人未到の記録を打ち立てた「競輪界の神様」の一人です。アマチュア時代から観音寺周辺を練習拠点としており、結婚を機に登録地を香川県へ移してからは、名実ともに観音寺競輪場を象徴する顔となりました。
■ 特別競輪の開催と「吉田実杯」
このレジェンドの功績を称え、観音寺競輪場ではS級シリーズとして「吉田実杯争奪戦」が毎年開催されていました。また、持ち回りの特別競輪である「ふるさとダービー」が3度開催されるなど、四国地区の競輪文化を牽引する熱気あふれる聖地でした。なお、毎年10月に行われていた記念競輪(GIII)は、地元の砂絵にちなみ「ことひき賞争奪戦」の名称で親しまれました。
3. 廃止に至った背景:一次資料が明かす「交付金猶予制度」の限界
観音寺競輪場が廃止に至ったプロセスは、経済産業省の車両競技分科会資料などの一次資料に詳細に記録されています。そこには、単なる売上減少だけでなく、「制度の期限」に追われた自治体の苦渋の決断がありました。
■ 慢性的な赤字と「交付金猶予」の救済措置
経済産業省の資料によると、観音寺市の競輪事業は平成16年度(2004年度)以降、長期的な売上低迷により単年度収支の赤字が恒常化していました。平成18年度末の段階で、累積赤字は6億2,000万円にまで膨れ上がっていました。
事業存続が危ぶまれる中、観音寺市は平成19年10月、国に対して「交付金猶予制度(収支改善を条件に、売上から国側へ支払う交付金の納付を先送りする救済制度)」を申請。これが認められ、平成20年度から平成23年度までの4年間、交付金の支払いが猶予されました。この措置のおかげで、帳簿上の事業収支は一時的に黒字化を達成します。
■ 猶予終了がもたらした「一歩手前の撤退」
しかし、この救済措置には当然期限がありました。
平成24年度(2012年度)以降は、本来のルール通り国への交付金の支払いが再開されることになっていました。観音寺市がシミュレーションを行ったところ、「交付金の支払いが再開されれば、売上の回復が見込めない以上、再び毎年確実に赤字に陥ることは免れない」という厳しい現実が突きつけられました。
これ以上の赤字を垂れ流し、一般会計(市民の税金)から補填する事態は避けなければならないと判断した観音寺市は、猶予期限が切れる直前である2012年3月をもって、競輪事業から完全に撤退(開催廃止)することを決定したのです。
4. 2012年3月7日:レジェンドも見守った涙のラストレース
2012年(平成24年)3月7日、本場最終開催である「第18回吉田実杯」の最終日を迎えました。
場内には別れを惜しむ全国のファンが殺到し、スタンドは往年の賑わいを取り戻しました。すべてのレースが終了したのちの閉場セレモニーには、すでに引退していた吉田実氏本人や、日本名輪会のメンバーがバンク内に登場。ファンの前でこれまでの感謝を込めたスピーチを行い、観音寺競輪61年の歴史のフィナーレを華やかに、そして切なく飾りました。
5. 跡地の現在:10年にわたるバンク存続から更地化、複合場外へ
閉場後、観音寺競輪場の広大な敷地は、他の廃止場とは異なる非常にユニークな経過をたどりました。
■ アスリートのために10年間残されたバンク
通常、競輪場が廃止されると速やかにスタンドや走路(バンク)は解体されます。しかし観音寺競輪場においては、地元の「香川県自転車競技育成会」などから強い要望が出されました。
これを受けた観音寺市は、経済産業省への特例申請を経て、「廃止後も平成34年度(令和4年度=2022年度)末まで、走路を選手や地元の高校生の練習場として利活用する」という決定を下しました。そのため、本場開催がなくなってからも約10年間、この400mバンクからは自転車のギヤ音が響き続け、数々の若手選手を育成する役割を果たし続けました。
その後、2020年(令和2年)4月以降から順次周辺施設の解体が始まり、利用期限を迎えた現在は完全に解体・除却され、「更地」となっています(2024年時点の自治体サウンディング資料による)。現在は、合計21,000㎡を超えるこの一等地の有効活用に向けて、民間事業者との協議が進められています。
■ 三競技が集結する一大場外拠点「サテライト観音寺」
一方で、競輪の投票機能は場所を移して生き残っています。本場廃止の翌月である2012年4月、近くに場外車券売場「サテライト観音寺」が開設されました。 この施設は現在、競輪の場外発売だけでなく、地方競馬の「DASH観音寺」、JRA(日本中央競馬会)の「J-PLACE観音寺」を併設する「3つの公営競技がすべて買える複合型場外発売所」へと大出世を遂げており、週末には多くのファンが訪れる明るく清潔な拠点として活況を呈しています。
まとめ:都市の未来を見据えたスマートな撤退劇
観音寺競輪場は、泥沼の倒産や強制打ち切りではなく、国の救済制度(交付金猶予)を賢く利用しながら、市民に過度な財政負担をかける前に綺麗に幕を引いた「スマートな廃止事例」の代表格と言えます。
物理的なバンクは役目を終えて更地となりましたが、かつて競輪場を彩った「銭形くん」は市の公式キャラクターとして今も街のPRに走り続け、車券売場は複合施設としてファンを魅了し続けています。形を変えながらも、観音寺競輪が街に遺したレガシーは今も静かに息づいています。

