1999年(31歳)

埼玉の太田真一を目標に指名し、盤石の体制で挑んだ1999年だったが、最終ホームで競り込んだ小倉竜二を落車させてしまい、初の失格に終わった。

2000年(32歳)

昨年とは違い、太田とは別線勝負を選択した2000年だったが、終始後方に置かれて見せ場なし。5着に終わった。

2001年(33歳)

2001年も後方に置かれ、見せ場なく終わる。直線では内の選手の煽りを食って落車となり、再入の9着に終わった。なお、この年限りで1991年からのグランプリ連続出場が途絶えた。

2004年(36歳)

3年ぶりのグランプリ出場となった2004年は、最終ホーム8番手から巻き返しを取ったが、逃げる東北勢を捲れず9着。自力戦での限界が見て取れる結果となった。

2005年(37歳)

オールスターを連覇して挑んだ2005年は、武田豊樹が前を回り、3番手を後閑信一が固める関東ラインの番手。武田が先手を奪い、盤石の態勢に思われたが、最終3コーナーで優勝した加藤慎平に内を掬われ6着に終わった。

2009年(41歳)

4年ぶりの出場となった2009年は、平原康多―武田豊樹の後ろ、関東ライン3番手。しかし最終2コーナーで前に踏み遅れ、4着に敗れた。

2014年(46歳)

G1戦線で安定した結果を残し、5年越しの出場となった2014年も、平原―武田の3番手に。首尾よく平原が主導権を奪ったが、勝負所で村上義弘に内を掬われ、6着に敗れた。

2015年(47歳)

直近で最後のグランプリ出場となった2015年も、やはり武田―平原の3番手。しかし最終バックで捲りを放った平原に離れ、7着に敗れた。

まとめ

神山雄一郎と、KEIRINグランプリの出場結果は以下の通り。

開催年年齢着順
1991年23歳8着
1992年24歳3着
1993年25歳5着
1994年26歳6着
1995年27歳2着
1996年28歳2着
1997年29歳2着
1998年30歳2着
1999年31歳失格
2000年32歳5着
2001年33歳9着
2004年36歳9着
2005年37歳6着
2009年41歳4着
2014年46歳6着
2015年47歳7着

23歳~47歳まで、合計16回に渡り出場してきた実力はもちろん、2014年には46歳でS級S班復帰・グランプリ出場を果たすなど、常識外れの活躍を示してきた神山雄一郎。しかし、そんな神山でも手に入れることが出来なかったのが、グランプリのタイトルである。一発勝負の難しさ、重圧を、奇しくも裏付ける結果となっている、と言えるだろう。

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