競輪界の”神”と呼ばれる男
競輪界には、数多の記録を塗り替えてきた”神”と呼ばれる男がいる。栃木61期・神山雄一郎。
1988年のデビュー以降、G1・16勝、年間賞金王5回、通算獲得賞金28億円超、グランドスラム(G1完全優勝達成)と、数々の輝かしい実績を残し、常に第一人者として競輪界を引っ張ってきた。そんな神山が、競輪界で唯一手に入れていない栄誉が一つだけある。
「KEIRINグランプリ制覇」である。
1991年の初出場以降、通算16回の最多出場を誇りながら、最高は2着。95年~98回は、神山の競輪人生の絶頂期だったが、4年連続で2着に泣いた。今回は、そんな神山雄一郎と、KEIRINグランプリの関係について、初出場の1991年から1回ずつ振り返っていく。
1991年(23歳)
初出場は23歳。打鐘から果敢な先行勝負に打って出たが、番手が併走となり、最終ホームで後ろ盾の坂巻正巳を失う不運に見舞われる。結局、最終バックで鈴木誠の捲りに遭い、8着に敗れた。
1992年(24歳)
2回目の出場となった1992年は、関東勢がおらず単騎戦。前団のもつれを最終2コーナーで捲り切ったかに思われたが、更にその上を吉岡稔真―井上茂徳の九州勢に捲られ、3着に終わった。
1993年(25歳)
同年の地元オールスターで悲願のG1初優勝を遂げ、タイトルホルダーとして参加した1993年だったが、勝負所でインに詰まり、後方に後退。見せ場なく5着に敗れた。
1994年(26歳)
高松宮記念杯競輪を完全優勝した1994年も、昨年同様最終ホームで別線の強襲に遭い、後方8番手まで後退。捲り返せず、6着に終わった。
1995年(27歳)
年間G1・3勝を挙げ、史上初の獲得賞金2億円を懸けて挑んだ1995年。最終ホームで主導権を奪うと、後方から捲った吉岡稔真と、火の出るような争いに。競輪史に残る名勝負は吉岡に軍配が上がり、神山は2着に敗れた。
1996年(28歳)
十文字貴信との”アトランタライン”で挑んだ1996年。当然人気に推されたが、番手を競り込まれるなど厳しい展開に。それでも最終バックで番手捲りを放ち押し切りを狙ったが、切り替えて内を突いた小橋正義とのマッチレースに敗れ、2年連続の2着に終わった。
1997年(29歳)
この年もG1・3勝を挙げ、今年こその思いで挑んだ1997年。最終ホームで吉岡稔真が落車するアクシデントもあり、マイペースの1周先行となったが、直線は山田裕仁の強襲に遭い2着。3年連続の銀メダルに泣いた。
1998年(30歳)
1998年は久々のG1優勝なしに終わり、復権に燃えて挑んだ。最終バックで4番手をキープし、直線猛然と追い込んで悲願の初優勝かに思われたが、先に抜け出した山口幸二をわずかに捕らえ切れず。4年連続の2着に敗れた。
競輪歴15年(みんなの競輪チーム 所属)
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