福岡県北九州市門司区にかつて存在し、九州地方における競輪の黎明期を支えた門司競輪場(もじけいりんじょう)。戸ノ上(とのうえ)山の麓に位置し、関門海峡を望む風光明媚な高台にあったこの競輪場は、1950年の開設から50年以上にわたり多くのファンに親しまれてきましたが、2002年(平成14年)3月をもってその歴史に幕を閉じました。

本記事では、北九州市の公表資料や都市計画(一次資料)の事実関係を基に、門司競輪場の基本情報から、輝かしい歴史、廃止を決定づけた「メディアドームへの集約」の裏側、そして現在は大規模な再開発により市民の新たな拠点へと変貌を遂げつつある跡地の最新状況までを詳しく解説します。

1. 門司競輪場の基本情報

まずは、門司競輪場の概要と設備に関する基本データを紹介します。

■ 基本スペック一覧

項目内容
所在地福岡県北九州市門司区不老町1-1-1(※現存せず)
開設日1950年(昭和25年)5月19日
廃止日2002年(平成14年)3月31日(本場最終開催は3月29日〜31日)
走路(バンク)500m(九州地方で初めて設置された500mの長距離バンク)
施行者北九州市(当初は旧門司市。1963年の5市合併により北九州市へ継承)
施設・土地所有北九州市(市有施設・市有地)
主な開催レース開設周年記念競輪(毎年2月頃に開催)など

門司駅から山側へと真っ直ぐ伸びる「不老(ふろう)通り」の急な坂を上りきった高台に位置しており、その見晴らしの良さから「大里(だいり)の競輪場」として地元住民からも長く認知されていました。


2. 「九州初の500mバンク」として開いた熱気の歴史

■ 戦後復興と旧門司市の財政を支えた誕生

門司競輪場は、第二次世界大戦後の混乱から立ち上がるための復興財源の確保を目的に、1950年(昭和25年)に当時の「門司市」によって開設されました。福岡県内では最初の競輪場であり、何よりも「九州初の500mバンク」を誕生させたことで、全国の競輪関係者やファンから大きな注目を浴びました。

■ 長年にわたる黒字経営とファンの熱狂

開設当時は娯楽が少なかった時代背景もあり、競輪場は連日、超満員の熱気に包まれました。500mという広大なバンクは直線が長く、最後の直線での大逆転劇が頻発したため、予想の妙味も含めてファンを熱狂させました。昭和40年代から50年代にかけての黄金期には莫大な収益を上げ、1963年の5市合併によって誕生した「北九州市」の都市インフラ整備や教育・福祉財政に大きく貢献しました。


3. 廃止に至った背景:北九州メディアドームへの「一極集中」

半世紀にわたり親しまれた門司競輪場ですが、平成に入ると急激な時代の波に飲まれることになります。廃止の背景には、全国的な売上減少に加え、北九州市特有の「構造改革」がありました。

■ レジャー多様化による売上減少と赤字転落

バブル崩壊後の景気低迷、さらにはレジャーの多様化により、全国の公営競技の売上は右肩下がりに転じます。門司競輪場も例外ではなく、本場への入場者数や車券売上高が最盛期から大きく落ち込み、黒字経営から赤字へと転落。市の財政を圧迫する要因となり始めました。

■ 「北九州メディアドーム」への事業集約

決定打となったのは、同じ北九州市が小倉区で運営していた「小倉競輪場」の動向でした。北九州市は1998年(平成10年)、小倉に日本初の全天候型ドーム競輪場である「北九州メディアドーム」(総工費約298億円)を建設し、小倉競輪をそちらへ移転させました。

同一の自治体(北九州市)が、至近距離に2つの競輪場(小倉・門司)を維持・運営することは極めて非効率的であり、公営競技事業のスリム化を迫られていた市は、「全天候型でナイターやミッドナイト開催にも対応できる小倉(メディアドーム)へ事業を一本化する」という方針を固めました。

この結果、門司競輪場は2002年(平成14年)3月31日をもって、兵庫県の西宮競輪場や甲子園競輪場と同じ日に、惜しまれつつ廃止されることとなったのです。


4. 廃止後の暫定利用と「ハイビジョンシアター門司」の終焉

本場としての開催が終了した後も、広大な敷地はすぐには更地にはなりませんでした。

■ 地域のスポーツ拠点としての暫定活用

特徴的だった500mバンクの走路は、地元の競輪選手たちの貴重な練習拠点、あるいは自転車競技愛好家のトレーニング場として存続しました。また、走路の内側(インフィールド)にあった陸上トラックは「北九州市立門司陸上競技場」として登録され、地域の学校の部活動や陸上大会の会場として長年有効活用されていました。

■ 場外車券売場の存続と2021年の完全閉鎖

また、1993年(平成5年)に場内の一角に建設されていた場外車券売場「ハイビジョンシアター門司」は、本場廃止後も小倉競輪や全国の重賞レースの車券を発売する拠点として営業を続けました。120インチの大型スクリーンを備えたこの施設は、本場なき後も地域のオールドファンが集う場所となっていましたが、施設の老朽化と後述する再開発計画の本格化に伴い、2021年(令和3年)3月31日をもって営業を終了し、完全に閉鎖されました。


5. 跡地の現在:大里地区の劇的な再開発(モデルプロジェクト)

現在、旧門司競輪場の跡地(約4.8ヘクタール)は、当時の面影を残す建造物がすべて解体・撤去され、北九州市が推進する公共施設マネジメントの重要施策「モデルプロジェクト再配置計画(大里地区)」に基づき、世代を超えて親しまれる先進的な複合エリアへと劇的な生まれ変わりを果たしています。

北九州市が公表している計画(市民の声への公式回答等)によると、跡地は以下の3つの主要ゾーンに分割されて整備が進んでいます。

① 公園広場ゾーン(令和5年度までに完成)

隣接する桜の名所「大里(不老)公園」を大幅に拡張する形で、子ども向けのアスレチック遊具や船型・汽車型を模した大型の複合遊具広場が整備されました。高低差のある地形を活かした「草そり用の斜面」や、高齢者向けの健康遊具も設置され、平日・週末を問わず多くの親子連れや市民が滞在する緑豊かな憩いの場となっています。

② 居住・商業ゾーン(令和5年度より順次完成)

民間事業者(第一交通グループ等)への土地売却・貸し付けにより、近代的な分譲マンションをはじめとする新たな居住空間が誕生しました。また、周辺の利便性を高める商業施設も併設され、静かな高台の住宅街として新たな活力を生み出しています。

③ スポーツ施設ゾーン(令和10年度完成予定)

老朽化が進んでいる周辺の体育館や「大里プール」といった体育施設をこの跡地へと集約し、多機能化された最新の屋内総合スポーツ施設(体育館・プール等)を建設する計画です。子どもから高齢者までが天候を気にせず年中スポーツを楽しめる拠点として、令和10年度(2028年度)の完成を目指して現在も整備が進められています。


まとめ:都市の未来へバトンを繋いだ「大里の聖地」

九州の競輪文化の先駆けとして誕生し、最後は同じ市内のメディアドームへその役目を引き継いで美しい幕引きを選んだ門司競輪場。

物理的なバンクやスタンドは姿を消し、かつて鳴り響いた歓声や車輪の風切り音を今に伝える遺構はありませんが、その広大な土地は放置されることなく、現代の北九州市が目指す「コンパクトで持続可能な街づくり」の最先端モデルへと昇華されました。かつて市民の生活を財政面で支えた聖地は、いまや市民の健康と笑顔を支える広大なコミュニティの場として、確かなレガシーを遺しています。